名古屋高等裁判所 昭和32年(う)289号 判決
控訴趣意第一点および第二点の論旨は、原審は原判決認定の事実ことに犯意に関する点について事実の誤認をし、この誤認した事実に基いて犯意に関し誤つた解釈をし、かつ自力救済を是認するようなこれまた誤つた解釈をしているか、これらの誤りはいずれも判決に影響を及ぼすべきものであるから、原判決は破棄を免れないというにある。
よつて案ずるに、本件起訴状によると公訴事実は、「被告人は昭和二七年四月一二日名古屋市瑞穂区柳ケ枝町二一九番地中部織機株式会社において、同会社所有にかかる織機部品一七六〇点価額七五四、六三九円相当を窃取したものである。」というのであるが、まづその事実関係を調べて見るに、原審における証人大崎勝栄、同成田松夫の各尋問調書、原審第三回公判調書中証人太田茂の供述記載原審第五回公判調書中被告人の供述記載、菱田清六の司法警察員に対する供述調書、被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、差戻前の当審第二回公判調書中証人大崎勝栄の供述記載、差戻後の当審公廷における証人河合勝憲、同成田松夫、同太田茂、同鬼頭茂の各供述、領置の証第一号鋳物マリエブル部品一覧表、証第二号誓約書、証第四号総部品一覧表、証第五号約束手形を総合考察すると、原判決認定のように、(一)被告人は昭和二七年一月二九日ごろ原判示中部織機株式会社に対し銑鉄織機部品約二噸を売り渡し、同会社からその代金の支払を受ける方法として同会社(代表取締役社長太田茂)振出の金額一〇九、二六〇円、満期同年三月一一日、支払場所株式会社東海銀行大須支店の約束手形一通を受け取つたが、この手形は満期に不渡となつたところ、同月一七日ごろ同社長の懇請により、右手形を同会社振出の金額一一八、九九〇円(追加納品の価額と延滞利息を加算した額)満期同年四月一五日、支払場所前同様の約束手形一通に書き換えることを承諾し、新たにその手形を受け取つたこと、(二)その際被告人は同会社の業務状態に不信を感じたので、同社長から右手形の満期である四月一五日にその支払ができないときは、同会社内にある製品、半製品、材料のいかんを問わず、これらの物品を時価スクラツプ代に見積り右手形金を決済されるも異議なき旨の誓約書を受け取つたこと、(三)しかし被告人はその後いよいよ同会社の経営状態に不安を感じたので、満期前の四月一〇日右手形について満期に相違なく支払を受けられるかどうかを確かめかたがた同会社に出向いたところ、同会社は休業状態でとうてい満期まで待つても支払を受けることができないと思われたので、翌一一日自己の納品だけを持ち帰ろうと決意し、トラツクを用意して同会社に出向いたが、けつきよく同会社の専務取締役大崎勝栄が被告人の納品は絶対他に持ち出させないことを確約したので、その場は一応引き揚げたもののやはり安心ができないので翌四月一二日ふたたびトラツクを用意して同会社に出かけ、被告人が納品した織機部品約一七六〇点をトラツクに積んで運び去つたことを、それぞれ認めることができる。
ところで右のように被告人が同会社から部品を搬出したことについて、同会社の責任者の承諾があつたかどうかの点について考察するに、原審における証人大崎勝栄、同成田松夫、の各尋問調書、同証人河合勝憲の尋問調書中供述記載の一部、菱田清六の司法警察員に対する供述調書、差戻前の当審第二回公判調書中証人大崎勝栄の供述記載、同第三回公判調書中証人伊藤孫市の供述記載、差戻後の当審における証人河合勝憲の供述、証第五号約束手形を総合考察すると、(一)被告人は同会社から前記部品を搬出せんとする際、同会社の社長をはじめ幹部の者は全部不在であつたので、ちようどそこに居合わせたもと同会社の常務取締役であつた河合勝憲に対し、被告人が納入した部品を引き取りたい旨申し出たところ、同人は被告人に対し自分はすでに常務取締役の地位を退き一債権者たるにすぎないから会社側のものとしては相談にのれない、一人の債権者が会社の品物を持ち出すようなことをしては他の債権者が黙つていないから四月一五日まで待つてやれとの旨答えたのにかかわらず、被告人は自己の納入した部品をトラツクに積みはじめたためこれを降ろそうとした工員丹羽功らとの間に紛争が起り、専務取締役大崎勝栄が妻からの連絡により同会社に駆けつけたときは、会社側の通報により警察のパトロールカーが来ていたこと、(二)そして被告人、大崎勝栄、その場に居合わせた債権者菱田清六、被告人の同行者小川重弥らがいつしよに瑞穂警察署に出頭して話合いをすることになつたが、そのとき被告人のトラツクはすでに前記部品一七六〇点を積んで会社の門外に出ていたこと、(三)右同人らが同警察署に出かけ伊藤司法主任のあつ旋のもとに話合つたが、大崎勝栄は最後まで被告人の納品持ち帰りに同意せず、また被告人から手形金の支払あるまで自己納品を預かる旨の後記預り証に押印を求められてもこれに応ぜず、他方伊藤司法主任は被告人らに対し双方話合いの上ならとにかく会社側の了解なくして納品を持ち帰ることは、後日刑事上の問題ともなる旨注意を与えたこと、(四)しかるに大崎勝栄らが同警察署から同会社に帰つたとき、被告人のトラツクは前記部品を積んだまま同会社を立ち去つていたのであるが、これはあらかじめ被告人のさしずによるものであることを、それぞれ認めることができる。原審は原判決において、被告人は前記部品を搬出する際河合勝正を同会社の重役と信じており、同人から被告人の納品ならあとで話をすればよいから持ち帰つてもよいと言われ、また前記警察署からの帰り道で専務取締役大崎勝栄に対し前記趣旨の預り証を渡したという事実を認定しているが、これに符合する原審における証人河合勝憲の尋問調書中の供述記載部分、原審第五回公判調書中被告人および証人菱田清六の各供述記載、同第六回公判調書中証人山川重弥の供述記載、被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、差戻前の当審第三回公判調書中被告人の供述記載、差戻後の当審公廷における証人菱田清六、同山川重弥、同大崎勝栄の各供述は、前記各証拠と比べてたやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はないから、この点において原審の事実認定には誤認がある。そこで右認定事実によると、被告人は前記会社責任者の意思に反して、同会社の支配に属する物を自己の支配内に移したもので、被告人にその認識があつたことは疑をいれぬところであるが、窃盗罪の成立にはさらに主観的違法要素として不法領得の意思が必要である。しかして不法領得の意思とは、権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様に、その経済的用法に従いこれを利用しまたは処分する意思をいうのであり、その意思は永久的に他人の物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないが、少くとも他人の物をあたかも自己の所有物のごとく利用または処分する意思でなければならないと解すべきところ、いわゆるあき巣とか、忍び込みなどといわれる通常の窃盗は、他人の支配物件をその意思に反して自己の支配内に移す行為とその認識さへあれば、それ自体から不法領得の意思が認められるのであえてこの点を論議する必要はないが、前記認定事実から推察できるように、被告人がかえつて前記会社の取り込み詐欺にかかつたかの疑いのある場合において、代金の支払を確保せんがため自己納品を無断で同会社から持ち出したという特段の事情の存ずる事案においては、はたして被告人に不法領得の意思があつたかどうかの点を審究しなければ、窃盗罪の成否を論断することはできないのである。論旨はこの点を看過しているので職権をもつて調べるに、原審における証人大崎勝栄の尋問調書(供述記載の一部同証人河合勝憲の尋問調書、原審第五回公判調書中被告人の供述記載、被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、菱田清六の司法警察員に対する供述調書、差戻前の当審第二回公判調書中証人大崎勝栄の供述記載(一部)、差戻後の当審公廷における証人河合勝憲、同成田松夫、同菱田清六、同山川重弥、同大崎勝栄、同長谷部強、同尾崎義泰、被告人の各供述、領置の証第三号預り証、証第五号約束手形を総合考察すると、(一)前記認定のように、被告人は前記会社の社長太田茂から三月一七日に新たに書き換えた手形の満期である四月一五日に支払ができない場合は会社所有の物件で決済するも異議なき旨の誓約書を受け取つたが、同月一〇日同会社に出向いたところ、同会社の経営状態は依然として悪く、工場は休業状態で、工員は遊んでおり、債権者の出入はひんぱんであり、会社の幹部連は姿を見せず、翌一一日同会社に出向いたときは、一債権者が同会社から木材約二〇石をトラツクで搬出しているありさまであり、被告人はこれらの事情からして、手形の満期である四月一五日まで手をこまねいて見ていると手形金の支払を受けることのできないことはもちろん、右誓約書の趣旨による代物弁済すら受け得られないことは必定であるとの結論に到達し、右手形債権の履行を確保せんがため、自己納品を搬出して手形の満期までこれを自己のもとに預つておこうと考えたこと、(二)さればこそ、被告人は四月一二日もと同会社の重役であつた河合勝憲に対し、(当時会社の責任者は不在自己納品を一応預つていくが一五日に手形の決済を受ければ品物を返還する旨申し向けたうえ品物をトラツクに積み込み、また前記瑞穂警察署で常務取締役大崎勝栄に対し証第三号と同旨の預り証すなわち、「私儀貴社の現況を見、当所より納品せし織機部品を貴社発行の約束手形金額十一万八千九百九十円也を期日昭和二十七年四月十五日に決済致さる間御預り致します、尚この部品は手形決済されれば即刻持参御返却申上げます、昭和二十七年四月十二日(肩首省略)中根始中部織機株式会社太田茂殿」と記載された書面に承認の押印を求めこれを交付しようとしたが、同人がこれを拒絶したのであるが被告人はこの文面と同じ意思に基いて前記のように物品を搬出したこと、(三)その後被告人は四月一七日前記手形を支払場所である東海銀行大須支店に呈示して支払を求めたが預金不足で不渡となつたので、前記誓約書の趣旨にしたがつて前記部品をいつぶして処分したが、この部品はいまだ加工するにいたつておらず原価で右手形金額以下のものであつたことを、それぞれ認めることができる。右認定に反する原審における証人大崎勝栄の尋問調書中の供述記載部分、原審第三回公判調書中証人太田茂の供述記載、差戻前の当審第二回公判調書中証人大崎勝栄の供述記載部分、差戻後の当審公廷における証人太田茂の供述は、前記各証拠と比べてたやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。はたしてしからば、被告人が前記会社から前記部品を搬出した意思は、同会社の経営状態のひつ迫した情勢下において、自己の手形債権を確保せんと焦慮のあまり、満期の三日前にこれを無断搬出したもので、その手段において妥当を欠くそしりは免れないが、直ちにこれを自己の所有物と同様視して、その経済的用法に従つてこれを利用または処分せんとするのではなく、四月一五日に手形金の支払われるまで三日間右物品を保管せんとする意思にすぎず、弁済があれば直ちにこれを同会社に返還する意思であつたものと解し得られるのである。したがつて、被告人の前記部品の無断搬出はいわゆる不法領得の意思を欠如するから窃盗罪を構成しないものと論断せざるを得ない。
しからば、これと理由を異にするが被告人に対し無罪を言渡した原判決はけつきよく正当に帰着し、本件控訴は論旨に対する判断をするまでもなくその理由がないので、刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 坂本収二 裁判官 水島亀松)